我が家の鉢植えのジュランタ・タカラヅカが咲いた。毎年9月に入ってからの開花だが、今年は1週間ほど早かった。例年より暑かったせいかどうか…それは花しか知らない。

それにしても「ジュランタ・タカラヅカ」の命名が面白い。調べてみたら、「ジュランタ」というのは、ローマ法王の侍医で植物学者のデュランテスに由来しているという。原産地は熱帯アメリカらしいが、ローマに渡ってから命名されたのだろう。では「タカラヅカ」の由来は?と調べてみたが、どうももうひとつ判らない。日本には明治中期に渡来したというが、最初の生産者が宝塚だった、とか、この花がスミレの花を彷彿させるところから、宝塚歌劇団のタカラヅカになったとか。いずれにしても、日本では兵庫県の宝塚から広まったのではないだろうか。さらに和名は「タイワンレンギョウ」と呼ばれるらしい・・・。ここにも「タイワン」という地名らしき名が出てくる。もうこうなると、ジュランタに限らず、花の名前って、いったいどうなってるの〜と叫びたくなってくる^m^。
(全画像5枚)

ジュランタ-1

ジュランタ-2

ジュランタ-3

ジュランタ-4

ジュランタ-5

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夏の終わりを告げる五山の送り火(大文字送り火)が済んだ翌日から、言い伝えどおり朝夕に涼しい風が吹き抜けるようになった。17日から今日までの1週間は、日によっては涼し過ぎて、長袖の上着を羽織りたいほど。そういう季節の変わり目の気温の変化に私の体調がついていけず、何事にも意欲沈滞気味だった。

そんな中、昨日は地域の地蔵盆が行われた。朝7時半の準備から午後4時前の片づけまで、ずっとその行事の場に張り付いていたら、夕食の準備にも手が付けられないほど疲れが最高潮に達した。私にとって地域行事との関わりは非日常の出来事。特に何をしたということもないけれど、きっと周囲への気遣いなどで神経的疲れが大きかったに違いない。時々目覚めながらも9時間の爆睡で、ようやく体調を少し戻したように感じる。

ところで、毎年昨日の23日と今日24日は、あだし野念仏寺では千灯供が行われている。これは、念仏寺境内の西院の河原にまつられている8000体ともいわれる無縁仏にろうそくを灯し、供養する宗教行事だ。弘仁2年(811年)、空海が五智山如来寺(その後、法然が念仏道場を開き念仏寺となる)を建立し、野ざらしになっていた遺骸を埋葬したのが始まるとされるが、境内の夥しい数の石仏・石塔は、明治36年(1903年)頃に、化野(あだしの)に散在していた多くの無縁仏を掘り出して集めたものだという。

今年は昨日が地域の地蔵盆と重なり、また今日は夕方ごろから多少体調に不安があったので、あだし野念仏寺に足を伸ばす事ができなかった。ただ、昨年撮った写真のストックがあったのでアップしておこうと思う。(画像全5枚)

あだし野念仏寺-1
境内に奉れる多くの石仏・石塔の前でゆれるロウソクの火↑↓
あだし野念仏寺-2

あだし野念仏寺-3
念仏寺に続く道々では、現代的にデザイン化された灯篭が足元を照らす。

あだし野念仏寺-4

あだし野念仏寺-5








大輪の花をあまり好まないと、今まであちこちに書いてきたが、ひまわりだけは違う。ひまわりという花は幼い頃から眺めていたけれど、ある時点まではほとんど関心を持たずにきた。

それが今から30年ほど前、ソフィア・ローレン主演のイタリア映画「ひまわり」を観てから変わった。戦争によって引き裂かれた結婚間もない夫婦の悲劇の物語だが、その背景に映し出される壮大なひまわり畑が私の心を奪ったのだ。「ひまわりの下には、多くの兵士の遺体が埋葬されている」という。それが地平線にまで続いている。人間の屍の上に咲いた花、ひまわり。戦争さえ起こらなければ、夫婦が悲劇にみまわれることもなく、ひまわりが咲くこともなかったかも…。その反戦の思いが私を捉え、同時に、壮大なひまわり畑をみてみたいという気持ちになっていった。

その気持ちは月日とともに忘れていったが、数年前からカメラを趣味にするようになって、思い出した。「広大なひまわり畑を写したい」。その思いは2004年7月半ば、兵庫県南光町のひまわり畑で遂げられたけれど、その後、写す機会に恵まれなかった。しかし、あるサイトで、意外と近くにひまわり畑があることを知り、思い立ったが吉日で、昨日行ってきた。

ただ、老眼でドジな私は、ホワイトバランスの晴れマークを、そのマークによく似た白熱電球と間違って…(-_-;)。レタッチの段階で色温度の調節をしてみたが・・・。またもや恥ずかしげもなく、我がサイトに堂々のアップである。以下の画像の他は、こちら
(全画像24枚)

ひまわり-1

ひまわり-2

ひまわり-3



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世はお盆の時期。お盆休みも始まったようで、昨日、一足早いお墓参りをしたら、常なら車で1時間少々で行ける田舎に、片道2時間も要した。墓参はたいてい妹と二人で行くが、日程の調整ができず、しかも13日から5日間は相方が車を使うため、やむなく一人での墓参となった。

墓参といっても、もはや実家はない。40年近く前に田畑など財産を処分して市内に越してきたので、残っているのは先祖代々からの墓地だけだ。そこにはすでに父母も入っている。初めての一人墓参で、しゃべる相手もいないこともあってか、妙に目に入る田舎の景色が懐かしく新鮮で…幼かった頃の思い出が走馬灯のように巡った。この地に住んでいたのは、自分の人生の4分の1にも満たないけれど、幼い頃の思い出の強烈さをあらためて知り、少し酔いしれて、久しぶりにカメラにおさめた。
(画像全6枚)

故郷-1
我が実家は左側の家の向こう側にあった。手前の草むらには茶工場があった。

故郷-2
実家のあった場所には、百日紅が燃えるように咲いていた。

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8月9日は第20回なにわ淀川花火大会だった。写友を誘って行って来た。花火は毎年撮っているが、今までの撮り方がどうしても納得がいかない部分があるのと、撮りたい花火の形があっての、いわゆるリベンジなのだ。そこで、いい場所を確保したいと夕5時前に現地へ。19時40分の打ち上げだというのに、大阪駅に近い淀川畔では、すでに場所とり合戦が始まっていた。場所は、昨年よりかなり南の土手道を確保し、三脚にカメラをセットして、そのときを待った。

時間が経つにつれ、見物客の数はどんどん増え、あとで判ったことだが、55万人だったとか。しかし、陽が沈みはじめ、西の空が夕焼けにそまっているというのに…しだいに南から東の空にかけて暗雲が広がりはじめ、さらにゴロゴロさんまで暴れだして、東の空には閃光が走り始めた。これはひと雨くるなと思い、三脚にセットした一眼デジにビニール袋をすっぽりかぶせたものの、自分用の傘がない。すると、写友が人間一人が入るほど大きなビニール袋を貸してくれた。

やがて、主催者側から、雨が降りそうなので打ち上げを早めるとのアナウンスがあり(15分ぐらい早まったような)…ほどなく雨がぽつぽつ落ちてきて、同時に花火が始まった。花火と雨のコラボレーションとでもいおうか。その花火は徐々に盛り上がっていくのではなくて、最初からドドーン!と豪快で、まるで雨を吹き飛ばす勢い…だったのだが、雨も負けずに勢よく落ちてきて、足元に水溜りができるほど。

そんな状況において、一眼デジで撮影ができるはずもなく、しかしせっかく来たのだからと、頭からかぶったビニール袋が飛ばないよう抑えた手にコンデジを持って、撮りまくること150枚余り。しかし、雨が観客に同情を示すかのように、花火終盤15分ぐらい前に小雨になり、しだいに落ちて来なくなった。そのわずか15分間が、一眼デジの出番だ。アングルなど考えている暇はない。とにかくシャッターをきりまくった、といっても、わずか35枚ぐらいだが、そのうちから20枚をサイトにアップした。

なお、コンデジで撮った150枚のうち何とか見られるのは10分の1程度。それは、どんな種類の花火があったかの記録として保存した。また、この雨のお陰で、コンデジの電源が入らなくなり修理に出し、水溜りに浸かったカメラバッグに入れていた携帯電話がオシャカに。被害甚大だったが、花火と雨のコラボ経験はちょっとスリリングで、結構楽しんだ、懲りない自分がいた^m^。


以下以外の写真は、こちらから。


淀川花火大会-1

淀川花火大会-2

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